空虚な日々

早く死にたい

中高の部活動の話

やることなさ過ぎて同じ日に二度もここに文章を書いてしまうとは。でも実際何か文章を書いているとそっちに頭を使うから落ち着くんですよね。

 

私の中高の部活動について書きます。私的に昔の部活に関しての事項は封印した記憶というか、自分の中の黒歴史として見做してるんで、基本的にあんまり人に話したいことではないんですが、まぁ文章にしてみることで思い出のひとつとして浄化できるんじゃないかなと思ったので書いてみます。因みに死ぬほど長いです。4000字近くあります。もし読むんだったら暇すぎて死にそうな時に読みましょう。

 

私は中学生の時、卓球部に所属していました(陰キャくせ〜〜〜)。その部活の中で特に仲の良い6人くらいのグループがあって、私はそこに属していました。まぁ私は当時から頭がおかしかったのでそのグループでも若干浮いていましたが。

中学の部活はとにかく顧問が厳しくて、常に怒号が響き渡る体育館で、毎日体罰同然の指導を受けながら練習に励んでいました。卓球部は緩いなんてよく言われるけど、少なくともうちは全くそんなことなかった。うちの中学で陸上部の次にグラウンドを走っていたのは間違いなく我が卓球部でした。

そして何故か私は部長でした。毎年部長と副部長は顧問の独断で決められており、指名された者に拒否権は一切なく、私は運悪くその生贄に選ばれてしまった訳です。顧問からバカみたいにデカい声で名前を呼ばれた時にはマジで頭がフリーズしました。当時からどう考えてもリーダーって感じの人間ではなかったし。

何気にめちゃくちゃ辛かったのが、大会で上位に入った時の表彰です。どの部活の大会でも閉会式の時に、上位の人が名前を呼ばれて前に出て、トロフィーとか賞状とか受け取るやつってあると思うんですけど、うちの顧問はとにかく声が小さい人間を悪だと思っている異常者だったので、表彰の時に返事の声が小さいとめちゃくちゃにキレる訳です。自分で言うのも自慢みたいで嫌なんだけど、私は県はともかく地区では個人戦で優勝とかしてたので、表彰を受ける機会も結構頻繁にあったのですが、お察しの通り私には大勢の人が見てる前でデカい声で返事をするなんて普通に無理なので、何かの大会で表彰される度に、閉会式が終わった直後の、各校の生徒たちが会場の片付けや帰り支度をしている体育館の隅で、会場中に響き渡るくらいバカデカい声で顧問にキレられてました。私の母親はよく大会の応援に来ていたのですが、当然彼女の耳にも顧問の怒号は聞こえてしまいます。親が見ている中で学校の教員にキレられるのってなかなかしんどいですよ。もうあんな屈辱的な思いは二度としたくないですね。

そんな訳でトータルで見たら99%が苦痛だった中学の部活動でしたが、それでも1%くらいは楽しかった思い出があります。卓球部では毎年年末に、その年の2年生が1泊2日で神奈川県へ遠征に行くんですよね。メインイベントはそこで開催される、関東大会の常連みたいな強豪校たちの練習試合に参加することなんですけど(顧問のコネで参加させて貰えてたらしい)(10校くらいと対戦して1勝しかできなかった記憶があります)、1日目の練習試合が終わった後の夜に、横浜の中華街に行ったのがとても楽しかった。めちゃくちゃ美味しい中華料理を食べたり、占い師のおっさんに手相を見てもらったり、親や後輩へのお土産を買ったりして、あの時間は幸せだったと思う。

そんなこんなで死ぬほど大変だった2年半も案外あっという間に過ぎ去ってしまうもので、最終的にまぁそこそこの成績を残して中学の部活は引退しました。

死ぬほど厳しかった部活動への反発心は卓球という競技そのものへの憎悪へと変質し、引退して部活動から解放された私は「もう二度と卓球なんかやるか」と心に決めていました。あとはまぁ中学2年生あたりで「卓球部=陰キャ」というパブリックイメージの存在を知ってしまい、そういう競技をやっていること自体が嫌になってしまったというのも理由のひとつです。

ですが高校受験が終わった春休みに、前述の仲の良かった6人組で集まって遊んでいるうちに、誰からともなく「久し振りに卓球やりてーな」という話になり、県立の体育館を借りてみんなで卓球をやりました。勝ちへの執着も、敗戦の口惜しさも、もちろん顧問の怒号も存在しない、純粋な遊びとしての卓球を、かつて苦楽をともにした(前述の通り苦と楽の割合は9.9:0.1です)チームメイト達と初めてやった訳です。そしたらまぁめちゃくちゃ楽しかった。勝っても負けてもヘラヘラして、思い出話(そのほとんどが顧問の悪口)に花を咲かせながらやる卓球は本当に楽しかった。この体験のせいで、「高校では絶対に部活には入らない」という私の決意が揺らぎました。それで結果から言っちゃうと、普通に高校でも卓球部に入りました。んで結局途中で辞めました。

高校の部活は中学とは真逆でめちゃくちゃ緩かった。顧問も練習見に来たりなんてしないし、毎日適当に練習して終わりだった(県立高校の部活なんて大体そんなもんよね)。途中で辞めた理由に関しては正直色々あって全部書くとめちゃくちゃ長くなるんだけど、大きく分けるとモチベーションの低下と人間関係ですね。

前者は分かり易い。シンプルに飽きた。結局遊びとして物事に取り組んでしまうと基本的にいつか飽きるんですよね。

あとチームメイトがみんな強かったのもモチベーションの低下の原因のひとつ。卓球って学校対抗の団体戦があるんですけど、中学のチームでは私が断トツでいちばん強かったせいで(自分で言うのもおかしいけど)「私が負けたらチームが負ける」みたいな意識があったから、その重圧がそのままモチベーションに繋がってたんですよね。でも高校のチームは私と同じくらいの強さのメンバーが他に5人くらいいて、「これ別に私がおらんくても良いな」的な意識が芽生えてしまい、2年の夏頃には幽霊部員になってた。

人間関係に関しては何というか私の性格の問題でした。人に心を開く方法が分からなかった私は、高校に入学して新しく知り合ったチームメイトと上手く距離を縮めることができず、何というか「他愛もないお喋りとかは普通にできるんだけど何かよく分からない距離感がある」的な状態になってしまったんですよね。

そんな訳で高2の秋か冬に私は部活を辞めました(何故かこの辺の記憶が曖昧で、退部した正確な時期は覚えてないです)。退部した後も元チームメイトたちとはふわっとした付き合いを続けていたのですが、あることがきっかけで何やら元チームメイトのひとりが私を嫌っているらしいということを知り、毎度のことながらネガティブ思考を思いっ切り爆発させた結果、「私は元チームメイト全員から嫌われている」という被害妄想に陥ってしまい、結局私から離れる形でほとんど全員と絶縁状態になりました。

中学の部活で仲の良かった6人組のうち、私と同じ高校に入学して卓球部に入った奴がひとりいるのですが、その人とも少しずつ関係が悪化して、最終的には絶縁状態になりました。その人も私と同じくモチベーションの低下やら何やらを理由として、私と同じタイミングで部活を辞めたのですが、その後の付き合いの中ですれ違い、というか私からの一方的な疑いが生じてしまい、結局関係が修復不能になってしまった。

何というか、昔はもっと自然に色んな話ができていたのに、何時しかその人との会話は私から話しかけることがほとんどになっていて、私はもっとお互いに他愛もない話とかがしたいのに、向こうは私との会話というものを特に求めていないように感じたりだとか、そういう小さな疑念の積み重ねからまたも私は被害妄想を爆発させてしまい、元チームメイトたちに対してと同じように「この人は私のことを嫌っているんだ」状態に陥りました。そんな訳で次第に私からその人に話しかけることもなくなり、最終的には高校卒業と同時期ぐらいにその人のLINEをブロックして絶縁しました。

こうして振り返るとどう考えてもこっちが悪いですね。まともな人間なら「中学から一緒にいる人間なんだから改まってわざわざ話すようなこともないだけだろう」とか捉えるんだろうな。でも私にとってはそういう空気感が耐えられなかった。何年一緒に居ようと、日々の些細な変化をお互いに共有できるような人が居て欲しかった。結局のところ、互いの価値観が違ったってことなんだろうな。

 

 

そんな訳で、私の中高の部活動生活はこんな感じでしたという文章です。最後の方はただ私がメンヘラなだけという感じになってますね(メンヘラという言葉はあまり好きじゃないし、ましてやそれを自称するなんてめちゃくちゃ嫌なんだけど、こういう人間的な性質を一言で表現する言葉がメンヘラという薄っぺらい単語しか見つからないので仕方なく使ってます)。あと普通に特定されそうで怖いな。まぁ広大なインターネットの海からこんなものを知り合いが見つけ出すことはないだろうし大丈夫だろう。

やっぱり文章を書くのは良い。過去を反芻したり、自分の感情を吐き出すことができる。結果生成されたのがどんなにめちゃくちゃで読み辛い文章であっても、誰かに読まれることを目的としない類の文章であればまぁ構わないんだろうと思う。

どうでも良いけど私は人が書いたこういう他愛もない文章を読むのも好きなので、皆さんも何か文章を書いてみてはどうでしょう。書いたらぜひ見せてください。