空虚な日々

早く死にたい

無題

何処までも孤独になってみたいと思う。本当の気持ちを隠した生温い手で触れられるくらいなら、ひとり冷たい暗闇でじっと身を潜めていた方が心地良い。そんなことを考えているうちに、私の一人称の外側で無神経に呼吸している世界から少しでも遠くに逃げたいと思い、今日も頭から布団を被るのだ。

 

今日は朝から雨が降っている。時雨という言葉はこういう秋の冷たい雨のことを呼ぶのだろうと思っていたけれど、正しくは秋から冬にかけて降るにわか雨のことを言うらしい。なるほど、そんなことはどうでも良い。ただ死を待つだけの人生に必要な知識とは、どれくらいの太さ、どれくらいの長さのロープを買えば失敗せずに首を吊ることができるのかとか、遺書にはどういったことを書き記せば良いのかとか、そういった類いのものだけなのだから。

 

ベッドの底で雨の音を聴いていると、中学2年生の時に同じクラスだった、仲の良かった奴のことを思い出した。掃除の担当箇所が同じで、第2校舎前の中庭の花壇で草むしりをしながら、担任の悪口や好きなクラスメイトの話をした。いかにも中学2年生という、他愛もない話だった。3年生になりクラスが別々になってからは話す機会もなくなり疎遠になった。あいつは今何処で何をしているのだろうか。今となってはもう昔のことだ。

 

大学生にもなればきっと何か変わるとあの頃は思っていた。高校3年生の放課後、ろくに受験勉強なんてしていなかった私は仲の良い友達とカラオケに行ったり、学校近くのブックオフで中古のCDを買い漁ったりしていた。あの頃から漠然とした不安や絶望に襲われることはあったが、それでも今思えば楽しかった。大学に入学するという決められたゴールがあるという意味では気が楽だったし、何より私の存在を承認してくれる人たちが周りにいた。退屈な毎日だと思いながらも、そこには確かな温度があった。

この先の将来、例えば5年後の自分が今の私の生活を思い出した時に、誇り慈しむことができるだろうか。きっと無理だろう。そういうことだ。

 

愛されたい人に愛されてみたいと思う。今でも相槌を望んでしまう私がいる。でも本当に愛されたい人から愛されるのはとても難しいことだと知っているから、私は今日も必死にどうでも良い振りをするのだ。