空虚な日々

早く死にたい

早く死にたい

みなさんお元気ですか。私は全く元気じゃないです。

 

金曜日に大学が休みだったので、香川に旅行に行きました。午前中には相手のリクエストで水族館に行って、適当に私が見つけたお店でうどんを食べて、それから午後は私のリクエストで美術館に行って、その後は何故かイオンに行って、色々買い物したりベンチに座って駄弁ったりして、岡山に戻ってからも何やかんやずっと喋っちゃって、結局自宅に戻ったのは午前1時とかでした。

 

何と言うか、正直もう無理かなって思います。というかそんなことはもうずっと前から思っているのだけれど、結局相手に流されるまま、2人で旅行にでかけたり夜中に近所を散歩したり朝まで通話したり、そんなことを続けてしまっています。ダメ人間ですね。

 

相手に近付けば近付くほど知りたくなかったことを知ってしまうことが増えて、でもそれと同時に近付けば近付くほど離れるのが怖くなって、こんなに苦しいのは初めてだなって思います。友達には「もう相手のSNS全部ブロックして縁切っちゃいなよ」と言われて、きっとそれが正解なんだろうけど、でもそんなこと絶対にできないですね。

 

私がどんな気持ちでいるかも知らず、「来月誕生日だよね、お祝いするよ」とか「春休みは鹿児島か福岡あたりに行こっか」とか、そんな未来の予定を無邪気に口にするあの人が怖くて仕方ないです。もう殺してくれ。

 

きっとあの時「さよなら」と言わず、相手の「またね」に応えてしまったのが全ての間違いだったのだろうと思います。この先「さよなら」と言える日は来るのでしょうか。もう「またね」なんて言いたくない。

一昨日の夜からもうずっと寝てる。寝ても寝ても眠くて、ちょいちょい覚醒を挟みながらひたすら浅い眠りを繰り返している。眠りが浅いからめちゃくちゃ金縛りになる。誰かが胸の上に乗っかって来た時は最悪だった。そんで眠るたびに「全部夢であって欲しい」と願っているのだけれど、目が覚めるたびに全部が全部めちゃめちゃ現実でウケる。そんで逃げるためにまた寝る。

食事もほとんどしてないけど今日の朝コンビニで買ったパンを食べた。吐いてしまいそうなのを我慢して食べた。マジで胃が空っぽの時に何か食べると逆に吐きそうになるんですね。今も気持ち悪い。外なんて出れるわけないのだが何か食べないと死ぬ気がするので(死ぬんだけど)(しかしそんな苦痛は求めていない)まだ空が暗い明け方にめちゃくちゃ買い込んで数日は持つようにした。

起きている僅かな時間には匿名ラジオを聴いてる。オモロの点滴で無理やり延命されている気分だ。SNSなんてとても見れない。死ぬほどLINE溜まってたらごめん(逆に1件も来てなかったらウケるな)。

いちばん鬱がやばかったのは去年の2月〜3月で、でもその時の鬱は頭おかしいツイートとかしまくって腕もめちゃめちゃ切ってひたすら死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!!みたいな感じだったのですが、今はマジで無。なんもする気起きなくて笑う。

SNSとか見れなくて(特にLINE)死んでるんだけどブログだったら一方的に文章をぶん投げるだけなのでギリ書けてる。なんか文章ぐちゃぐちゃかもしれんけど仕方ないよね。

本当にこういうので人に心配かけるのも、「人に心配かけて貰いたいんだろうな」って思われるのも嫌だからほんとは普通にいつも通りツイートとかしたいんだけど全然無理ですね。でも多分普通にそのうち生き返ります。生き返らなかったらごめん。でも何もする気起きなくて逆に自殺とかめんど過ぎるから多分大丈夫だと思う。

眠いからまた寝ます。みんなは他者の存在によって自己の定義を形作ろうとした結果ぶっ壊れたりしないようにな!!

髪を切った。1か月以上家に引きこもって極力誰もと会わない生活をしていたけど、近々人と会う用事があるので流石に美容院行かねばと思い行ってきた。

美容師と話すのが嫌っていう「美容院嫌いな人あるある」は自分の場合なくて、何なら普通に話すのは好きなんですけど、シンプルに家から出るのがめんどくさい。家から出るってだけでめちゃくちゃエネルギーを使ってしまう。そんで出かける前は「せっかくこんだけ気力を使って外出するんだから、何か食べて帰ろう」みたいなことを考えるんですけど、用事が終わると完全にエネルギーを使い果たしてしまい、普通にそのまま家に直行してしまう。

美容師が大体いつも「この後ご予定はあるんですか?」って聞いてくるの意味わかんなくないですか?美容院で髪を切るっていうクエストだけですさまじい量のエネルギーを消費するんだから、その後に予定なんて入れる訳ないだろって思う。普通の人は髪切った後に友達と遊びに行ったりするんか。やばいな。

 

最近オモコロのARuFaさんとダ・ヴィンチ恐山さんがYouTubeでやってる「匿名ラジオ」っていう週1更新のラジオ番組をよく聴いてます。「スーパーで集めた『お客様の声』をぶつけてバトルしよう」とか「ちびまる子のクラスメイトとサバイバルした時の必勝法を考えよう」とか「ヤフー知恵袋の人生相談に勝手に答えよう」とかそういうテーマについて、悪のインターネットに純粋培養されたARuFaと恐山の2人が、古のオタク的なネタやら捻くれた冗談を交えながら20分くらいくっちゃべるっていう番組なんですけど、これがめちゃくちゃ面白くて、最近外に出なきゃいけない用事がある時はイヤホンでこれ聴いて外出してます。マジでオモコロチャンネルと匿名ラジオが抗鬱剤となってる。ありがとうBHB。

どの回から聴いても問題ないしどの回も一定以上のオモロを供給してくれるので、基本的にタイトルが気になった回を聴いてみる感じでおっけーです。捻くれ冷笑オタクの皆さんはぜひ。

 

普通にめちゃくちゃ精神がしんどい。匿ラとオモコロチャンネルから一瞬でも目を離すとマジで最悪の人生に引き戻されてしまう。

なんつーか、普通に穏やかな恋愛がしたい。こんな風に恋愛によって自分の精神のキャパが占有されてるのがムカつく。恋愛ってなんでこんなにエネルギー使うんですかね?もっとゆるっとできたら良いのに。

どうでも良いけど恋愛ソングって恋愛してない時はマジでどうでも良いけど恋愛してる時に聴くとめちゃくちゃ刺さりますよね。Plastic Treeの「梟」とか「リプレイ」とか良いですよ。

 

なんか知らんけど頭が痛くなってきた。ので今日は寝ます。

今日はギターの弦を交換した。久し振りにやったから最初に6弦を巻く時ちょっとミスった。何とか軌道修正できたけど。

ギターの弦を交換すると、毎回想像以上に音が良くてびっくりする。「新品の弦を張ったギターってこんなに良い音だったっけ」って思う。

そう言えば最近はB♭とかBが割とスムーズに抑えられるようになってきた。ギターって「Fが難しい」ってよく言われるけど、絶対Bの方が難しいですよね。キーがEmとかだと結構出てくるし(大体B7で代用できるけど)。

好きな曲を弾き語りしたりもしてるんだけど、弾き語りを練習する上で難しいのって何気に歌詞をちゃんと覚えることなんですよね。1番は覚えてるけど2番以降が曖昧みたいな。でも改めて歌詞を確認してみると、「この曲のこの一節、今の自分と重なるなぁ」みたいな発見があって楽しいです。

 

 

 

 

約束の日が近付いてくるのが怖い。会いたくない。このままゆっくりと離れ離れになっていくのは寂しいけど、何処かそんな穏やかな終わりを望んでいる自分がいる。あの人から連絡が来る度に、心が重く澱むのを感じる。LINE消してスマホの電源を切って、全てから逃げたくなってしまう。

雑記

カーテンを閉め切った薄暗い部屋での生活に慣れ切ってしまい、日中に用事があって外に出ると、太陽の光が思いのほか眩しくて倒れそうになる。

引きこもり大学生と言えど、どうしても日中に外の世界へと出かけなくてはいけない用事が2週に1度くらいはある訳だけど、その度にこの街が、季節の巡りと共に少しずつ景色を変えていくのが分かる。そしてそういう時に私は、この世界に私が居ようと居なかろうと、世界は何の問題もなく運動を続けるのだと思い知る。私にとってそれは気楽でもあり、そして寂しくもある事実だ。雄大で静謐なこの世界の運動に取り残されて、6畳の自室やら精神世界やら、或いはあの世やらへと消えていく者のことなど、この世界は気にも留めない。早い話、私が午前1時の津山線の踏切に飛び込んで死んだとしても、この世界にとってそんなことは取るに足らない出来事なのだ。

 

何もする気が起きない。でも何かをしていないと余計なことばかり頭に浮かんできて気が狂いそうになるから、惰性で煙草に火をつけてしまう。金の掛かる暇潰しだ。そしてささやかな自傷行為でもある。

1か月前にアルバイトを辞めてニート同然の生活へと戻ってから、ますます金がない。それでも1日に吸う煙草の本数は一向に減らない。この先の将来、1箱の値段が1000円を超えたら流石に本数を減らそうと思う。

 

幼稚園の年長の年に、卒園旅行でディズニーランドに行った。卒園旅行とは言っても実際はほとんどの時間が同伴の保護者との自由行動で、私は母親と2人で丸1日掛けて様々なアトラクションを満喫した(因みに当時の私は、ショーやパレードなどには微塵も興味のないタイプの子どもだった)(というか今も)。ビッグサンダーマウンテンとホーンテッドマンションに行ったということは覚えている。実際に乗った時のことは記憶していないが、「あの時私はビッグサンダーマウンテンとホーンテッドマンションに行った」という情報を、そのまま事項として今でも覚えているのである。あと後者に関しては、当時からオカルトとかホラーが好きな子どもだったので、「絶対に行く!!」と決めていたことを覚えている。

初めてのディズニーは本当に楽しかった。楽しすぎて頭がおかしくなるかと思った。お土産にジャック・スケリントン(ナイトメアー・ビフォア・クリスマスに登場するドクロのキャラクターだ)のおもちゃを買ったのを覚えている。紐を引っ張るとジャックの手足がカシャカシャと動き回る、チープなおもちゃだった。

目の前に広がる幸福を全身で強く抱き締め、受け止めることだけに夢中だったあの頃の私の目に、今の私はどう映るのだろう。そんなことを考えていると、無意識のうちにまた煙草に火をつけてしまう。

 

失われた関係のことを思う。大抵の人間と同じように、私も今までの人生の中で沢山の人と関係を結び、それを失ってきた。道を振り返ればそこには、様々なかたちで失われた、様々な人たちとの関係の亡骸が横たわっている。別れの言葉という墓標を与えられた亡骸は数える程しかない。互いにさよならを告げることができる別れなど、人生においてそうはないのである。

最近また1つ関係を失った。大抵の別れがそうであるように、そこにさよならという言葉はなかった。墓標を持たない関係の亡骸を懐かしみその思い出に縋るのは、アザミの棘のように柔らかく鋭い感傷を齎すだけの虚しい行為だ。別れの言葉というある種のしるしを持たない関係に再び血を通わせるのは、とても難しいことなのだから。

ゆっくりと離れ離れになっていき、今日も私の世界からあの人の存在が失われていく。まるで眠りから覚めれば少しずつ記憶から消え去ってしまう、明け方の幸せな夢のように。

中高の部活動の話

やることなさ過ぎて同じ日に二度もここに文章を書いてしまうとは。でも実際何か文章を書いているとそっちに頭を使うから落ち着くんですよね。

 

私の中高の部活動について書きます。私的に昔の部活に関しての事項は封印した記憶というか、自分の中の黒歴史として見做してるんで、基本的にあんまり人に話したいことではないんですが、まぁ文章にしてみることで思い出のひとつとして浄化できるんじゃないかなと思ったので書いてみます。因みに死ぬほど長いです。4000字近くあります。もし読むんだったら暇すぎて死にそうな時に読みましょう。

 

私は中学生の時、卓球部に所属していました(陰キャくせ〜〜〜)。その部活の中で特に仲の良い6人くらいのグループがあって、私はそこに属していました。まぁ私は当時から頭がおかしかったのでそのグループでも若干浮いていましたが。

中学の部活はとにかく顧問が厳しくて、常に怒号が響き渡る体育館で、毎日体罰同然の指導を受けながら練習に励んでいました。卓球部は緩いなんてよく言われるけど、少なくともうちは全くそんなことなかった。うちの中学で陸上部の次にグラウンドを走っていたのは間違いなく我が卓球部でした。

そして何故か私は部長でした。毎年部長と副部長は顧問の独断で決められており、指名された者に拒否権は一切なく、私は運悪くその生贄に選ばれてしまった訳です。顧問からバカみたいにデカい声で名前を呼ばれた時にはマジで頭がフリーズしました。当時からどう考えてもリーダーって感じの人間ではなかったし。

何気にめちゃくちゃ辛かったのが、大会で上位に入った時の表彰です。どの部活の大会でも閉会式の時に、上位の人が名前を呼ばれて前に出て、トロフィーとか賞状とか受け取るやつってあると思うんですけど、うちの顧問はとにかく声が小さい人間を悪だと思っている異常者だったので、表彰の時に返事の声が小さいとめちゃくちゃにキレる訳です。自分で言うのも自慢みたいで嫌なんだけど、私は県はともかく地区では個人戦で優勝とかしてたので、表彰を受ける機会も結構頻繁にあったのですが、お察しの通り私には大勢の人が見てる前でデカい声で返事をするなんて普通に無理なので、何かの大会で表彰される度に、閉会式が終わった直後の、各校の生徒たちが会場の片付けや帰り支度をしている体育館の隅で、会場中に響き渡るくらいバカデカい声で顧問にキレられてました。私の母親はよく大会の応援に来ていたのですが、当然彼女の耳にも顧問の怒号は聞こえてしまいます。親が見ている中で学校の教員にキレられるのってなかなかしんどいですよ。もうあんな屈辱的な思いは二度としたくないですね。

そんな訳でトータルで見たら99%が苦痛だった中学の部活動でしたが、それでも1%くらいは楽しかった思い出があります。卓球部では毎年年末に、その年の2年生が1泊2日で神奈川県へ遠征に行くんですよね。メインイベントはそこで開催される、関東大会の常連みたいな強豪校たちの練習試合に参加することなんですけど(顧問のコネで参加させて貰えてたらしい)(10校くらいと対戦して1勝しかできなかった記憶があります)、1日目の練習試合が終わった後の夜に、横浜の中華街に行ったのがとても楽しかった。めちゃくちゃ美味しい中華料理を食べたり、占い師のおっさんに手相を見てもらったり、親や後輩へのお土産を買ったりして、あの時間は幸せだったと思う。

そんなこんなで死ぬほど大変だった2年半も案外あっという間に過ぎ去ってしまうもので、最終的にまぁそこそこの成績を残して中学の部活は引退しました。

死ぬほど厳しかった部活動への反発心は卓球という競技そのものへの憎悪へと変質し、引退して部活動から解放された私は「もう二度と卓球なんかやるか」と心に決めていました。あとはまぁ中学2年生あたりで「卓球部=陰キャ」というパブリックイメージの存在を知ってしまい、そういう競技をやっていること自体が嫌になってしまったというのも理由のひとつです。

ですが高校受験が終わった春休みに、前述の仲の良かった6人組で集まって遊んでいるうちに、誰からともなく「久し振りに卓球やりてーな」という話になり、県立の体育館を借りてみんなで卓球をやりました。勝ちへの執着も、敗戦の口惜しさも、もちろん顧問の怒号も存在しない、純粋な遊びとしての卓球を、かつて苦楽をともにした(前述の通り苦と楽の割合は9.9:0.1です)チームメイト達と初めてやった訳です。そしたらまぁめちゃくちゃ楽しかった。勝っても負けてもヘラヘラして、思い出話(そのほとんどが顧問の悪口)に花を咲かせながらやる卓球は本当に楽しかった。この体験のせいで、「高校では絶対に部活には入らない」という私の決意が揺らぎました。それで結果から言っちゃうと、普通に高校でも卓球部に入りました。んで結局途中で辞めました。

高校の部活は中学とは真逆でめちゃくちゃ緩かった。顧問も練習見に来たりなんてしないし、毎日適当に練習して終わりだった(県立高校の部活なんて大体そんなもんよね)。途中で辞めた理由に関しては正直色々あって全部書くとめちゃくちゃ長くなるんだけど、大きく分けるとモチベーションの低下と人間関係ですね。

前者は分かり易い。シンプルに飽きた。結局遊びとして物事に取り組んでしまうと基本的にいつか飽きるんですよね。

あとチームメイトがみんな強かったのもモチベーションの低下の原因のひとつ。卓球って学校対抗の団体戦があるんですけど、中学のチームでは私が断トツでいちばん強かったせいで(自分で言うのもおかしいけど)「私が負けたらチームが負ける」みたいな意識があったから、その重圧がそのままモチベーションに繋がってたんですよね。でも高校のチームは私と同じくらいの強さのメンバーが他に5人くらいいて、「これ別に私がおらんくても良いな」的な意識が芽生えてしまい、2年の夏頃には幽霊部員になってた。

人間関係に関しては何というか私の性格の問題でした。人に心を開く方法が分からなかった私は、高校に入学して新しく知り合ったチームメイトと上手く距離を縮めることができず、何というか「他愛もないお喋りとかは普通にできるんだけど何かよく分からない距離感がある」的な状態になってしまったんですよね。

そんな訳で高2の秋か冬に私は部活を辞めました(何故かこの辺の記憶が曖昧で、退部した正確な時期は覚えてないです)。退部した後も元チームメイトたちとはふわっとした付き合いを続けていたのですが、あることがきっかけで何やら元チームメイトのひとりが私を嫌っているらしいということを知り、毎度のことながらネガティブ思考を思いっ切り爆発させた結果、「私は元チームメイト全員から嫌われている」という被害妄想に陥ってしまい、結局私から離れる形でほとんど全員と絶縁状態になりました。

中学の部活で仲の良かった6人組のうち、私と同じ高校に入学して卓球部に入った奴がひとりいるのですが、その人とも少しずつ関係が悪化して、最終的には絶縁状態になりました。その人も私と同じくモチベーションの低下やら何やらを理由として、私と同じタイミングで部活を辞めたのですが、その後の付き合いの中ですれ違い、というか私からの一方的な疑いが生じてしまい、結局関係が修復不能になってしまった。

何というか、昔はもっと自然に色んな話ができていたのに、何時しかその人との会話は私から話しかけることがほとんどになっていて、私はもっとお互いに他愛もない話とかがしたいのに、向こうは私との会話というものを特に求めていないように感じたりだとか、そういう小さな疑念の積み重ねからまたも私は被害妄想を爆発させてしまい、元チームメイトたちに対してと同じように「この人は私のことを嫌っているんだ」状態に陥りました。そんな訳で次第に私からその人に話しかけることもなくなり、最終的には高校卒業と同時期ぐらいにその人のLINEをブロックして絶縁しました。

こうして振り返るとどう考えてもこっちが悪いですね。まともな人間なら「中学から一緒にいる人間なんだから改まってわざわざ話すようなこともないだけだろう」とか捉えるんだろうな。でも私にとってはそういう空気感が耐えられなかった。何年一緒に居ようと、日々の些細な変化をお互いに共有できるような人が居て欲しかった。結局のところ、互いの価値観が違ったってことなんだろうな。

 

 

そんな訳で、私の中高の部活動生活はこんな感じでしたという文章です。最後の方はただ私がメンヘラなだけという感じになってますね(メンヘラという言葉はあまり好きじゃないし、ましてやそれを自称するなんてめちゃくちゃ嫌なんだけど、こういう人間的な性質を一言で表現する言葉がメンヘラという薄っぺらい単語しか見つからないので仕方なく使ってます)。あと普通に特定されそうで怖いな。まぁ広大なインターネットの海からこんなものを知り合いが見つけ出すことはないだろうし大丈夫だろう。

やっぱり文章を書くのは良い。過去を反芻したり、自分の感情を吐き出すことができる。結果生成されたのがどんなにめちゃくちゃで読み辛い文章であっても、誰かに読まれることを目的としない類の文章であればまぁ構わないんだろうと思う。

どうでも良いけど私は人が書いたこういう他愛もない文章を読むのも好きなので、皆さんも何か文章を書いてみてはどうでしょう。書いたらぜひ見せてください。